プロフィール
幼少期

1990年、東京で生まれ、両親、姉2人、妹1人の6人家族で育ちました。牛乳が大好きで1日2リットルを飲み干し、姉たちを追いかけるパワフルな子どもだったそうです。
4歳のとき、父の仕事の都合で家族全員アメリカに引っ越しましたが、8歳のときに日本に帰国することに。友だちとの悲しい別れと、忘れかけていた日本語での生活に戸惑いました。母国なのに学校生活でカルチャーショックを受け、馴染めない状況が続きました。
中学、高校、大学生活
中学では吹奏楽部、高校ではラクロス部の活動に打ち込みました。音楽が好きで、部活とは別に中学・高校の両方でバンドに入っていました。
大学は好きな分野を幅広く学べること、1年間の留学が必修であることから、早稲田大学の国際教養学部に進学。留学先のオランダで、ありのままの自分を受け入れてくれる友だちに恵まれ、勉学に関しても世界のレベルの高さに圧倒されました。貴重な経験となりました。

就職してシンガポールへ

海外で暮らしたいおもいから、日本語教師の資格を取り、大学卒業後にシンガポールに渡りました。
シンガポールでは世界の現実を目の当たりにしました。発展した近未来都市には、目を覆いたくなるような格差や差別が横行していたのです。お金だけを追求していく経済社会に違和感を持ち、どうすれば社会をよくしていけるのか考えるようになりました。
日本共産党との出会い
シンガポールから帰国した直後、日本で総選挙が行われました。私は日本共産党に投票しましたが、同世代の投票率の低さにショックを受けました。多くの人が政治に興味を持っていない分、自分が頑張ろう、日本共産党をさらに応援しようと思い、しんぶん赤旗を購読。それをきっかけに入党を呼びかけていただき、私にもできることがあるのではと入党を決意しました。
